永楽館は初日


新橋演舞場の四日目、兵庫県豊岡市の出石、永楽館が初日をあけ、愛之助を始め、一座一同、無事に舞台を勤めたそうです。四年前の柿落とし(こけらおとし…開場式)には、八月の猛暑の中、私も参加させていただきましたが、早くも五年目になりました。一回目から愛之助とずっと一緒に出演している壱太郎君、五年の間に随分と成長しました。(その分、私は老化しました)薪車もたしか二回目からずっと参加していると思いますが、その三人(愛、壱、薪)の親達三人は東京の演舞場で頑張っています(^O^)今回の「鯉つかみ」は昔、市川右團次さんの得意狂言、それを延若③兄さんが受け継ぎ、それを又兄の我當が引き継ぎ、今回愛之助に懇切丁寧に指導し、全体の演出をしてくれました。(沢潟屋さんもたしか出していらっしゃったと思います)「七人の会」で延若兄さんがこれをお出しになったとき、私は今回壱太郎君が演じている「お姫様」を勤め、又一郎、鴈治郎②おじさんや父が脇役で出演と云う「豪華な鯉つかみ」でした。…もう五十年も前のことです。話しは東京に戻りますが「松
緑さんの熊谷」の三日目ですが、もうすっかり自分の物にして堂々と演じています。代役ながら今回はお祖父さまの松緑おじさんの型をまなび、「成田屋型」で演じています。したがって仁左衛門の熊谷とはかなり違います。久しぶりの「成田屋型」で懐かしく、私は両方の型が好きです。皆さんにも「両方の熊谷」を楽しんでいただきたいです。仁左衛門の病状も快方に向かって、食事も軽く摂れています。それにしてもご贔屓の皆様が「慌てず、しっかり治して」と言って下さる優しさに、本当に感謝しております。

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永楽館

行きたかったんです…今年の出し物鯉つかみ本水をあの小屋で、というのに興味津々で。
でも金欠で諦めちゃいました。
愛之助さん始め壱太郎さん薪車さんのご活躍を東京からお祈りしております。千壽郎さんも永楽館なんですね。
秀太郎さんの翁でこけら落とししたあの小屋350席という小じんまりして客席と舞台の密なところが大好きです。

秀太郎さん老化なんてとんでもないです!益々艶やかでいらっしゃいますよ。

仁左衛門丈のご病状も有難うございます。
召し上がれるようになったと聞いて安心しました。それにしても去年二月の六助のときもですが絶飲絶食でよく名古屋終盤も東京初日もお勤めになられたこと。とその舞台への情熱というか気力というか責任感というかに感服いたします。でも無理はしないで頂きたいものです。仁左衛門さんも秀太郎さんもお父様のようにご長寿で生涯現役でいらして頂かなければ…。

今日夜熊谷拝見します。

お疲れ様です

永楽館にとても興味があるのですが、まだ一度も行かれず残念です。お三人の活躍が嬉しいですね。
今日のブログで「三人の親達が演舞場で…」のお言葉がとても温かく心に響きました。秀太郎丈も翫雀さんも(藤十郎丈も)竹三郎さんも、お気持ちを永楽館に馳せておられるでしょう。
また、毎日案じている仁左衛門丈の様子をお聞かせくださって有難うございます。お食事がとられるようになった由、嬉しくもありますが、まだ復帰は先になるでしょうか。
初日だけのご出演だったので、まさかまだ劇評は、と思っていたのに、昨日yさんに教えられて渡辺保さんの評が出ていたのを知って読みました。ご体調不十分だったでしょうに激賞で嬉しかったです。秀太郎丈の藤の方についても「秀太郎の藤の方は、この人だけが他の人間とは位も育ちも別世界の女だというところがいい」という所に拍手でした。
話は飛びますが、弥陀六の衣裳には、無官大夫平敦盛を初め、菩提を弔う平家の人々の名が書かれていますが、歌で名高い薩摩守忠度かと思いきや「薩摩守忠盛」と書かれているのはなぜでしょうか?(忠盛は清盛の父)
ちなみに敦盛が吹き、藤の方が舞台で吹くあの青葉の笛は、お祖父様の忠盛が鳥羽院から賜ったのの

すみません

すみません、先のコメント。携帯から入れたら字数オーバーで途中で切れてしまっていました。
青葉の笛は、敦盛のお祖父さんの忠盛が鳥羽院から賜ったのを、敦盛が譲られたのでしたね。またあの須磨に行って、敦盛塚に詣り、笛を見て来たいです。

行ってきました

永楽館に初めて行ってきました。
初日の昼の部でした。

芝居小屋の雰囲気一杯で、小屋に入っただけで
わくわくしました。

涙ありの忠臣蔵
大爆笑の口上
大熱演の本水の鯉つかみ
最後はカーテンコール

と、感動の一日でした
京都から車で往復六時間かけて行った甲斐がありました。

ますます、歌舞伎が好きになりました。

永楽館~

行ってみたいです~永楽館!!
永楽館ご出演のお三方のお父様方が演舞場でご活躍というのは
素晴らしいですね。お家、芸の伝承がしっかりとあらわれている
ようで嬉しい一方襟を正す思いがします。
「鯉つかみ」見てみたくなりました。

何故か突然、しかも何度も申しておりますが、十三代目さまの
温かみが三人のご兄弟と姉妹の方々に受継がれて私たちに伝わって
くるのが本当に有難く嬉しいです。
(家族としての憧れです(*^_^*))

拝見しました

代役4日目とあって松緑さん堂々としたもので感心しました。「やい女」「南無阿弥陀仏っちゃなぁ」「夢だ夢だ」とかが十五代目さんと違い、僧形になるとき兜を最後にとるのも違いほかも色々違いますが、一と月に二通りのやり方を拝見出来るのは興味深いですね。相模のくどきのときそれをじっと聞いている直実がいかにも肚で女房の歎きを受け止めているようで感心でした。

今日は藤の方の「首討てと言やったか健気なことを言やったな」がいかにも母親らしくってここで最初に泣きました。お写真にもある我が子の形見の青葉の笛を抱くように持つお姿にも母の心が感じられました。

大好きなお芝居なのでせっせと通うつもりです。

朝晩寒くなりましたがくれぐれもお身体にはお気をつけ下さいませ。

素敵なお写真!

素敵なお写真に引き寄せらせ書き込みさせていただきました!

仁左衛門さんのお体調も快方に向かわれているとのこと。
安堵いたしました・・・e-312
役者さんのお仕事は本当に苛酷ですね。
毎月新しいお舞台での連日皆勤でのご講演。
お疲れのはずです・・・。

永楽館!!
鯉つかみは拝見したことのない演目!
お若い皆さん、楽しんでらっしゃるでしょうねe-266
ご活躍、拝見できないのが残念です・・・。

さて、この素敵なお写真☆
型が変わっても何ということなくこなされている風格!
ベテランのオーラがメラメラと見えるようですv-42

年末、仁左衛門さんとお揃いでの京都顔見世、
拝見出来ますこと心待ちにしております!!
今回は秀太郎さんを見習って美しく☆とはいきませんが
お着物で観劇e-267させていただくぐらいの
心の余裕があればなぁ・・・と☆

記録映画

『忠臣蔵』五六段目
勘平 鴈治郎丈
おかる 秀太郎丈
11月9日(金)
2時から国立文楽劇場小ホール
見つけましたので、同好の志 お忘れなく。

永楽館行きたくて 調べましたが 日帰りは難しそうで涙をのんで諦めました!

昔 多分延若さん(延二郎時代!?) の鯉つかみを拝見したかなぁ!?というぼんやりとした記憶がありますが ちゃんと覚えてないので是非とも観たかったんですが…


仕事の為に松竹座も南座も夜行バス利用で日帰りしているのですが 出石は東京からはちょっと遠かったです(涙)


仁左衛門丈も少しずつ体調を戻しつつあるようですが 舞台に立てば またお忙しくなられることでしょうから 完全に治して復帰していただきたいですね!!
もちろん私の観劇日には戻っていて欲しいとは思いますが これからも永く元気でいていただく為に 今はちょっと我慢します!?

夜の部は月末近くにチケットを取っていますので ご兄弟の共演を楽しみにしています!

急に寒くなってきました。
くれぐれもお身体ご自愛くださいませ!!



また拝見しました

十五代目さん最短復帰願掛けは失敗でしたが
松緑さん益々よくなっていて感心しきりでした。

今日は藤の方が弥陀六の「一子を斬って…忝ない」と熊谷に言うとき、客席からは後ろ向きながらそっと同じ気持ちで熊谷に感謝の心で手を合わせておられるのを拝見しました。仇と狙って入りこんだ陣屋の主がまさかの我が子の命の親だったのは驚きでしょうね。筋書のインタビューでこういう高貴なお役は身分が下の相手に露骨に感謝を表すものでもないというようなことをおっしゃってましたが、相手の払ったあまりにも大きな犠牲を思うとついこれくらいは表しますよね、と納得の自然な合掌でした。

またまたご復帰願掛けをかねて次は11日拝見します。
くれぐれもお身体にはお気をつけ下さいませ。
演劇界次月号予告をみましたら十三代目さんの特集記事にご兄弟お三方の座談会と!楽しみにしております。
プロフィール

片岡秀太郎

Author:片岡秀太郎
二代目 片岡 秀太郎
昭和16年9月13日
大阪府大阪市生まれ
屋号は松嶋屋
定紋は七つ割り丸に二引、替紋は追いかけ五枚銀杏
本名は片岡 彦人(かたおか よしひと)

十三代目片岡仁左衛門の次男
1946年(昭和21年)10月京都南座で『吉田屋』の禿役で本名の片岡彦人で初舞台
1956年(昭和31年)3月大阪歌舞伎座の『河内山』の浪路で二代目片岡秀太郎を襲名

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