二十年…


あの震災から二十年ですが…。あの時、中座の成駒屋兄弟の襲名披露で、たしか封印切が出ていて、「おえん」を徳三郎さんがやっていたと思います。あれから間もなく徳三郎さんは逝ってしまいましたが…、とても良い役者でした…。地震の前日、十六日が③鴈治郎兄さんの「お初1000回」の記念日で今橋の「つる家」で私のご贔屓が成駒屋御一門を招いて大宴会をもようして下さり、家内と共にホテルに帰り寝付いた矢先の地震でした。その時お腹にいた子供が今は大学生、この二月には二十歳になります!二十年の間には色んな事がありました…。ところで今日(十七日)の昼の部は先斗町の総見、夜の部は私のご贔屓が上七軒、宮川町の芸舞妓さんを引き連れてご観劇、舞台のみならず客席も連日華やかです!終演後の宴にもお招き頂き、第三部を楽しく過ごさせて頂きました。なので明日も頑張ります!!

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やはり…

 昨日も前の記事のところにコメントさせていただきましたが、やはり曽根崎は前夜が1000回目だったのですね。たくさんの報道陣でごった返し、表彰式があったと記憶します。しかしそれには松嶋屋の皆様はお出にならないというので、私はその前で帰りました。
 今、鴈治郎襲名をなさっている智太郎さんが翫雀襲名で、やはり封印切が出たけれど、おえんさんは故徳三郎さんでした。秀太郎丈は濡衣、そして口上でのお言葉を思い出します。口上は今月と同じく一番のしも手で、初日は大笑いでした。壱太郎ちゃんがちょこちょこと出て、お祖父さんとお父さんの間にちょこんと座って、大拍手でした。
 その翌朝の地震の時に、秀太郎さんは少しも慌てず騒がず落ち着いておられたというお話も伺いました。今大学生になられたお嬢様がお腹におられたのですね。お生まれになって何年かして、「中の芝居」に出られて、地震の時に無事で生まれてよかったと思いながら拍手を送ったことを思い出します。

佳き日

おはようございます。
昨日は至福の時間を過ごしました。ありがとうございました。
秀太郎丈の《おきさ》、《おえん》そして、口上、どれも素晴らしかったです。どの狂言も鴈治郎丈をはじめとして、皆さん落ち着いて、的確に演技されていて、よっかたです。
それに客席を見渡していても、楽しかったです(-_-)。

「封印切」は魅力的な狂言で、昔のギリシャ人で『怒りは狂気の一種である。』といった人がいましたが(ホラテイウスという人)、なるほどそうかと思います。狂気は観客にとて、驚きです。《おえん》さんによって誘発される愛情、同情心がそれに対するもので、普遍的な人間の心のように思います。

今日も元気で、すごされますように。

あのときも成駒屋さんの襲名公演でしたね

朝寝ていたときの揺れで驚きましたが
起きて神戸の惨状をしりもっと驚きました。二十年も経ったのですね…

あのときも封印切では翫雀さんの忠さんに孝夫さんの八右衛門、今年も鴈治郎はんの忠さんに仁左衛門さんの八右衛門、お互い大きなお名前を継がれて同じお芝居で襲名狂言でのご共演…歌舞伎って本当に長く同じお役を楽しめるものだなぁと実感しました。

連日京都から綺麗どころがお越しで華やかですね!第三部も益々充実していることでしょう。今日は夜のみ拝見です。おえんさん大好きです!いつもお写真有難うございます!今月は2ヶ月ぶりに千蔵さんも同座されてますしまたお弟子さん方とのショットもお願いいたします。

20年ですね…

あの時は三連休明けの突然の報に驚きと怖さでテレビに釘付けになりました。
前日まで中座観劇で関西に居り、秀太郎さんの濡衣を拝見した後、三宮で友人に会っていましたから…
番頭さんや劇場に電話をしてご無事と判った時はホッとしたものの、前日まで自分が居た場所の変わり果てた様子には胸が痛みました。
毎年1/17にはいろいろな思いが胸に去来します。
20年経ってもこうして変わらず秀太郎さんの舞台を観続けられている事に感謝すると同時に、犠牲者の方のご冥福をお祈りしたいと思います。
プロフィール

片岡秀太郎

Author:片岡秀太郎
二代目 片岡 秀太郎
昭和16年9月13日
大阪府大阪市生まれ
屋号は松嶋屋
定紋は七つ割り丸に二引、替紋は追いかけ五枚銀杏
本名は片岡 彦人(かたおか よしひと)

十三代目片岡仁左衛門の次男
1946年(昭和21年)10月京都南座で『吉田屋』の禿役で本名の片岡彦人で初舞台
1956年(昭和31年)3月大阪歌舞伎座の『河内山』の浪路で二代目片岡秀太郎を襲名

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